GWも足早に過ぎ去り、今週の土曜がLASIK術後の一ヶ月検診日。前日は都内に出張なので、出直さずに一泊して対応することに。近視は軽く乱視が強いタイプだったので、乱視が矯正し切れていないと思われるが、視力1.5レベルはキープできているようだ。早く定量的な検査結果を見てみたい。
帰省先でのLASIK話に一番興味を持っていたのが、年子姉の夫婦。二人揃って裸眼で 0.1にも全く届かない視力らしく、自分の0.2レベルでは体験していない苦労話を聞かせてくれた。綺麗な露天風呂に出かけても、メガネをかけると雲って見えず、外すと今度は周囲も足元も見えずに躓いて転びかけた、など。この世界から 1.5レベルになると生活の質がかなり変わるのではなかろうか。あまり怖さを言わなかったせいかどっちが先に云々と話していたが、自分の周りでは先に奥さんが、というパターンが多いらしい。
ここの親サイト の情報は、アクセス頻度の高いものから不定期に内容の見直しをかけている。先日も「最近アクセスが増えているな」と思って更新した擬似アッカーマン、6輪マウスで有名な第4実験室blogさんで取り上げて頂いた故にアクセスが増えていたらしいです。ありがとうございます。新作の多輪ロボットがどうなるか楽しみです。
しまさんがラジオの話から始まるつぶやきを書かれている。自分も朝6時~7時のクルマ通勤時間帯で SKYを聞いているが、DJ石川さんの熱い持論には同感してしまうことが多い。
先日の「エスカレーターの話」だと、エスカレーターに子供連れの親、後ろから男が急いで登ってきたが親子に先を塞がれた格好になる・・という状況。今の世の中は「エレベータを慌てて登る方が悪い」「片側を空けておくのが普通だろう」とすぐお互いの”批判合戦”になってしまう。このような状況に”ルールの厳格化”で対応しようとすれば、世の中は本当に堅苦しいものになってしまうが、これは違う。お互いに
悪いように目の前の物事を見るのではなく、善意の目で物事を見てその場で対処すべき。登ってきた男を迷惑だと捉えるのではなく、「この人は何らかの事情があって急いでいるんだろう、譲ってあげよう」などと考えることが大事、他人を悪い方に捉えて気にしすぎるべきではない、というのが石川さんの主張だったが、その通りだと思った。
自分の住んでいる街のクルマ交通マナーは全国的にもワーストレベルだと思うが、自分は”譲る”ゆとりを持つことを大切にしている。先ほどのような”批判合戦”では譲りのシーンでも
「どうして誰も譲ってくれないんだ!俺も譲らないぞ!」
「せっかく譲ったのにお礼の合図すらしない!譲って損した!」
という状況になるだろうが、自分は譲るべき状況に気付けば譲るように動くし、譲ることをギブアンドテイクのような視点で捉えない故に礼の有無は気にしないし、「譲るべき状況に気付かなかった」ならば自分に心の余裕が無かったと捉えてしまう。他人の出方よりも自分のあり方が正しかったかを問うてしまう。
人間は機械ではないので、心のあり方次第では目の前の状況に正しく対処できないこともあって普通だとも思うが、自分は悪いことは良く記憶してしまう損な性格・・・だから心にゆとりをもって対処できるようにしたいと考えてしまう。
小さく開いたドア一つ通るときでも、「自分さえ通れるなら」後ろに人が居てもドアに指一つ触れずにすり抜けてしまう・・・そんな人も多く見かけるが、自分の思いでも、石川さんの考えでもそうだと思うが、大事なことは「そんな人」を気にする、悪く見る、とやかく言うことではなく、自分が同じ場面で何をできるのかを考える、自身がそれを実践できる心をもつことではないだろうか。
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